節分豆と雷と柊とへそ-春と鳴神
節分豆と柊と雷と春
節分の豆まきや柊鰯は、春と雷と稲の実りの神話的背景を持つと思われます。大昔の雷神信仰の重要拠点、奈良市 鳴神神社への信仰の面影が食生活の中に残っているのかもしれません。
※この記事はhatena blog, goo blog(2018-01-22 02:37:38)より引っ越してきました
初雷と立春の節分
立春の節分の後、初めて鳴る雷は初雷(虫出しの雷)。節分の豆の残りを災い除けの為に初雷を聴いてから食べる習慣があります。初雷は啓蟄の地面の中の虫達を目覚めさせる雷。春雷-春と雷は関係性が深いと考えられていたようです。
一節分の大豆を取て置て、初がみなりの時、くひつむ事、今の世のならはし也、京都將軍の御代には、節分の大豆を取て置て、二月初午の日に參らせし由、年中恒例記にみへたり"貞丈雜記 十六雜事"古事類苑,歳時部十九,節分,挿柊鰯門戸
(延喜式通りな追儺巻きなら、あり??)
節分と正月と大晦日と祈年祭
現在の節分で行われている追儺 は元々は大晦日の行事。
立春の節分と旧暦正月は近く、重なると立春正月。
延喜式の祈年祭は旧暦二月四日で現在の春分に近い日辺りの行事。
延喜式の祭祀は元々下記の通りで、大晦日の追儺と鎮火祭と道饗祭も重なります。
これらが現在は暦の変更の影響で混ざり合っています。
延喜式
大祀
践祚大嘗祭(オオムベノ)。
中祀
祈年(トシゴヒ鳴神神社他二月四日)★
月次(ツキナミ六月十二月十一月)
神嘗(カムニヘ・伊勢神宮九月十一日)
新嘗(ニイナヘ・旧暦11月の二の卯の日)。
加茂(葵祭)等の祭。
小祀
大忌(広瀬大忌祭四月)、
風神(竜田祭七月四日)
鎮花(ハナシズメ・大神神社旧暦3月)
三枝(サイクサ率川神社、孟夏(陰暦4月))、
相嘗(アヒムベ旧暦十一月上夘)、
鎮魂(タマシツメ石上神宮他旧暦11月の2度目の寅の日)、
鎮火(6月と12月の晦の夜道饗の後・巻八)★
道饗(ミチアヘ,鬼魅防止)★
蓽(𦸩・荜)は豆と棘-節分豆と柊鰯と巻き寿司と
雷の古い漢語名「靈蓽」の蓽=豆・イバラが節分の豆まきの由来ではないでしょうか。靈(神様)の蓽(豆・イバラ)すなわちイナビカリが、鬼(陰)を追い払うのかもしれません。黒いヒハツは少し巻き寿司の外観に似ています。故事を知る方がヒハツを巻き寿司に喩えたのかも?
雷公-伊加豆知/イカヅチ、鳴神=奈流加美/ナルカミ
電-稲光:伊奈比加利/イナビカリ
稲交接-伊奈豆流比/イナツルビ
稲妻-伊奈豆萬/イナヅマ和名類聚抄 20巻
靈蓽(靈𦸩)イナヒカリ 和漢音釈書言字考節用集 巻1
靈蓽(イナヒカリ)の蓽(𦸩・荜)は豆、蓽豆ヒハツ、畢撥、蓽茇、Piper longum L.、Long pepper。(集韻:蓽、豆也)。
蓽は澡豆(ソウズ古代の身体洗浄剤)も意味します。
蓽は澡豆(ソウズ古代の身体洗浄剤)も意味します。儺祭詞(なのまつりのことば)の「穢悪伎疫鬼」を追い祓うのは、豆のサポニン、すなわち界面活性剤=石鹸による菌・ウイルスの不活性化ということかもしれません。疫病退散は、昔も手指消毒だと経験則で知っていたのでしょうか。
蓽澄茄(ひっちょうか)Piper cubebaクバブ 黒コショウのような豆
蓽麻子 牽牛子(けんごし) マルバアサガオやアサガオ(牽牛)の成熟種子。
蓽はイバラ
蓽はイバラの意味もあります。柊鰯です。また蓽域は京師(京都、帝都、都)です。
雷と天神
雷の神でもある五條天神さんでは、立春の節分の日は今も白朮と勝餅と宝船の絵を配布しています。戦前は節分に餅を食べる家庭も多かったようです。天神さんは元々は少名彦名命です。八坂神社の大晦日のおけら火は有名ですが昔は五條天神も行っていたようで、元々は追儺または旧暦六月・十二月の晦日の鎮火祭の行事の名残なのかもしれません。
〔日次紀事 十二月〕 節分の夜は、五條の天神にまいり、餅白朮をうけてかへることあり、五條天神は少彥名命にて、天下の疫癘を守らんとちかひ給ふ神なるゆへ、一年中の疫癘をいのらんためにまいる事なり、白朮は濕はらふ藥なれば、風濕疫癘をのぞくの心にて、神前にてうけて歸り、火にてたくなり、
天神(雷)と稲と恵方
稲妻、雷のイカズチは稲の妻。稲の実りと雷は関係があると考えられているようですが恵方神(年神)と稲も日本神話では関係が深く、恵方詣の歳徳神は陰陽道の神様ですがその恵方神と同一視される大年神は古事記では穀物神(稲荷神)宇迦之御魂神(稲魂)と兄弟です。現在五條天神で配布されている宝船の絵には稲穂が描かれています。
鳴神(雷)と龍と水神(蛇)
雷の神・香山(こうざん)の鳴神神社(奈良市)は延喜式では祈年祭においても新嘗祭においても宮廷から使者が来る重要な神社として書かれていて、今も新嘗祭が行われています。今も皇居にある鳴神神社はこちらからの分祀ではないかといわれています。仏教の八大龍王・龍神信仰とも関係がある鳴神神社の祭神は天水分神、水の神。祈年祭が民間では意識されなくなり、天神信仰が菅原道真公の信仰へ変化していくにつれて、天神としての少彦名命も春日奥山の鳴神神社も意識されなくなりました。
春日龍珠箱の外観(リンク)
春日をめぐる龍神信仰は複雑であるが、春日神には根源的に水神・雷神(農耕神)的な性格があったとされており、また御蓋山(みかさやま)の南方・香山(こうぜん)には鳴雷(なりいかずち)神社と龍池があって、古来龍神信仰と関係の深いところであったと考えられる。一方、本品の伝来したとされる室生寺の近くにも龍神信仰の拠点である龍穴(りゅうけつ)神社があり、室生寺とともに興福寺の支配を受け、先の香山の龍神信仰とも深い関係を有していた。
重要文化財 春日龍珠箱かすがりゅうじゅばこ、奈良国立博物館,神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.311
室生寺(むろうじ)伝来とされる二重の箱。被蓋造(かぶせぶたづくり)の内箱は身の側面に逆巻く波濤(はとう)を描き、蓋表には海中の岩礁(がんしょう)に立つ八体の鬼形(きぎょう)を、蓋裏には七体の鬼形と一体の童子形を描く。……一方、唐櫃(からびつ)形式の外箱は、身の側面に鹿に乗る春日五所の神々と眷属(けんぞく)を描いている。正面は春日二宮(本地・薬師如来)と十二神将及び三宮(本地・地蔵)と十王・司命(しめい)・司録(しろく)、向かって左側面には春日一宮(本地・釈迦如来)と四天王・十天、向かって右側面には四宮及び若宮と十二宮(じゅうにきゅう)を描き、背面は無地としている。……春日をめぐる龍神信仰は複雑であるが、若宮神もそのはじめは小蛇の姿で顕現したとされており、龍神信仰が根底にあったことは疑いない。
重要文化財 春日龍珠箱かすがりゅうじゅばこ、奈良国立博物館,おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, pp.52-53, no.38.
鳴神神社と善女龍王と神泉苑の恵方社
奈良の鳴神神社の前の龍王池には八大龍王の善女龍王の伝説があり、京都の神泉苑と室生龍穴神社ともつがっています。弘法大師と西寺の守敏との雨乞いがあった神泉苑の恵方社(歳徳神)は毎年大晦日に祠を恵方へむけます。まるで恵方巻のようです。
鳴雷神祭と祈年祭
延喜式の祭祀の中でも最大規模の祈年祭・旧暦二月四日の鳴神神社の鳴雷神祭の神饌は関西風の太巻き+布類のような取り合わせです。大阪船場の小田巻蒸し+バッテラ(鯖寿司)で模倣できそうです。小田巻おだまきは糸巻きの苧環と同じ読み方で布類もカバーできています。案外こういう縁起物的な由来があるのかもしれません。巻き寿司も食物部分については模倣できているようです。
鳴雷神(コイカツチ・ナルカミ)祭一座 大和国添上郡
絁(あしぎぬ・平絹)二疋。絲(いと)二絢。綿二屯。五色の薄絁各六尺。倭文四尺。調布二端。庸布二段。木綿。麻各一斤。鍬四口。
白米五斗。糯米二斗。大豆小豆各一斗。
酒二斗。稲四束。
鰒(あわび)堅魚・雑腊(くさぐさのきたい)各二斤。鮭五隻。雑鮨二斗。海藻二斤。雑海藻二斤。鹽(しお)二斗。
菓直銭。明櫃(あかひつ)二合。折櫃四合。高案一脚。缶二口。堝(ナヘ)四口。片盤(サラ)廿口。匏(ひしゃく)四柄。槲(柏)一俵。席四枚。食薦(すごも)六枚。輦籠(コシコ)一口。
香山と崑崙山
香山は仏教の香酔山すなわち崑崙山で、崑崙山は道教の人体小宇宙説ではへそにあたります。ここで先日の記事の節分の小田巻蒸しとつながってきます(後述)。
阿香車はイカズチ
道教の雷神・阿香(あこう・あきょう・あかう)は雷の車を押した少女で、阿香車もまたイカズチを意味します。
易経の震
易経の震に出て来るお酒の「鬯」は鬱金草(ターメリック)の「香」で震(雷)を降ろす神前酒であり、恵方巻の起源の一説に鬱金草で色付けする「お新香」が出て来たのも、何かが縁起物として存在していた可能性(方相氏の金の四つの目のように)はあるとも思えます。
鬯は黍で作った酒に鬱金草を漬けたもの、神前の地面に注いで、香りによって神を降ろす。
159頁,易 下 本田済,朝日文庫1978
奈良元興寺の八雷神の鬼退治
奈良の元興寺の鬼は八雷神に退治されます。雷神は鬼退治をする神です。この春日信仰の八大龍王と何か関係があるのかもしれません。
おへそと雷と年神様
雷がよくおへそをとるといわれます。へその緒は糸のようによじれていますが、糸巻である苧環(おだまき)の別名もへそ(綜麻・巻子・閇蘇)です。苧環や綜麻は三輪山神話で三輪の神を追いかける糸巻で、神や縁を辿る糸巻きです。
年神と苧環
伊勢物語 32段「いにしへの賤乃おだ巻(倭文の苧環)くり返し(繰り返し) 昔を今になすよしもがな」の歌にあるように、昔の布の倭文を糸にして繰り返し織るは、延々と重ねゆく歳月-御年神-の営みをあらわしてもいます。苧環・へそは新年の様です。へそをとるとは、新年をむかえる苧環をとる、つまり時間の営みをとるですから、命を奪うという意味ではないでしょうか。
小田巻と苧環と綜麻(へそ)
先日の記事の正月や大晦日にも食べられた大阪船場の小田巻蒸しは追儺が大晦日に行われていた時代の名残もあり節分でも食べられていたと思います。豆も柊も雷と鬼につながっていたのですが、小田巻蒸しも苧環=へそを通じてすぐ東方の香山(こうざん-香酔山、崑崙山すなわち道教のへそ)の雷の神、鳴神神社へつながっています。
鬼と水神・山神
和名類聚抄では鬼は死人の魂や魑魅-須太萬スダマ、水神の魍魎(和名は水津霊・美豆知/ミズチ)。戦前の節分の食事でうどんやそうめんを食べていた理由が水神としての蛇たる鬼の身体を食べるという意味であるのならば、端午の節句で粽を鬼として食べるように細巻きの恵方巻であれば現代的な意味はあるのかもしれません。
中世における粽伝承と年中行事─室町期食文化の周辺─ 小林美和・冨安郁子 著 帝塚山大学現代生活学部紀要 第5号 23~32(2009)


